年中行事と行事食

花々が咲き乱れる春、新緑が芽吹く夏、稲穂が金色に染まる秋、白銀の世界に包まれる冬、彩り豊かな山形県鮭川村の四季が育んだ年中行事。鮭川村では行事とともに行事食文化が花開き、様々な伝統が受け継がれている。

春の彼岸 (3月20日前後)

春分の日を中日とし、その前後各三日間、計七日間が春の彼岸です。春分の日を挟んでの一週間、ご先祖様をまつり、供養します。仏前には彼岸花を飾り、お膳には精進料理と、故人の好物を供えます。

彼岸の料理

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  • 入り日 小豆だんご、みそかぶえごなどの精進料理。みそかぶを食べると雪崩に遭わないと言われ、秋にとったかぶを土に埋めておき、春の彼岸にはどこの家でもみそかぶを作りました。
  • 中日(春分の日) ぼた餅(春の彼岸の時は、牡丹の花にあやかり「ぼた餅」と呼びます。)煮物・えごなどの精進料理を作りました。
  • 送り彼岸 きな粉だんご。きな粉だんごは、土産(みやげ)だんごとも呼ばれ、天国で留守番している先祖へ持って行くと言われ、午前中に作りお供えします。暑さ、寒さも彼岸までと言うように、この頃から春に向けて暖かくなってきます。

桃の節句(4月3日)

鮭川村では月遅れの4月3日、桃の節句を祝います。女の子の無事な成長を願って、雛人形を飾り、めでたいお膳を作りお祝いします。お雛様を飾る日は決まっていませんが、一夜飾りは避けられ一週間位前に飾ります。片付けるのが遅くなると、娘が縁遠くなると言う、言い伝えが残っています。

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節句のしたく

  • くじら餅蒸ふかし(3月下旬) 雪の間からふきのとうが芽を出す頃(3月末)になると、節句の支度を始めました。くじら餅を蒸ふかす準備として、餅米をひいて粉にして縁側に広げて乾かしました。どこの家でも、数十本のくじら餅を作り、隣近所で「家の味、みでけろ」と自慢し合い、みそ味・しょうゆ味・白砂糖・黒砂糖味などと吟味して作りました。
  • 甘酒作り 大きな鍋に作り、えんつこ(いずめこ)に入れ保温しました。桃の枝をそえて、お雛様にあげました。
  • 節句の餅つき(4月2日) 食紅できれいに色をつけた「しんこ餅」を作り、お雛様にあげました。
  • お雛見(4月3日) 子ども達が集まり、近所を巡ってお雛様を見て歩きました。お雛様を眺めながら、お供えしてある甘酒や、お寿司などをごちそうになりました。
  • お雛様のお膳 ご飯(白いご飯または寿司)・くじら餅・しんこ餅・羊羹、甘酒・雛あられなどを飾り、お膳には汁(卵、豆腐のみそ汁)、平(煮魚)、皿(生魚の頭付き)、小皿(和え物やおひたし)をのせました。

山の神の勧進(かんじん)4月2日頃

午前零時を過ぎた頃、男の子が「山の神の極楽、米一升たんまれ勧進」と大きな声で村中の家々を回り、ご祝儀にお米などを頂く行事でした。鮭川村では現在、4~5つの地区で行われており、今は日中、小学校あるいは中学校の 男の子が山の神様を背負って、家々を回っています。山の神様を毎年作る地区や、祠に祀ってある山の神様を下してくるところなどがあります。

(動画:外部)

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ひろこ摘み

天気の良い日、雪が消えた後にはひろこが、春の日ざしを受けて芽吹きます。顔を出したばかりのまだ黄色いひろこが食べごろです。 つくし(ひろこ摘み用に作られた棒)で掘り、待ちに待った春の味を楽しみました。

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つぶ(たにし)ひろい

田んぼや水路に住んでいるつぶを拾い、数日間、きれいな水に入れて泥をはかせてから料理します。

地蔵様まつり

子どもを守ってくれる神様と言われています。子ども達の健康を祈願し三種肴(酢の物、おひたし、炒り物または煮物)と御神酒を持って集まり、地域にまつられている地蔵様にお参りします。子どもの健やかな成長をみんなで祈り祝いました。

朴の葉まま

田植えの時の一服(休憩)には「朴の葉まま」をべました。きなこご飯を朴の葉で包んだごはんですが、朴の葉の香りがしてなんとも言えない味になり、疲れをいやしてくれるごっつおでした。
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端午の節句

月遅れで6月5日に祝われる男の子の節句です。各家庭の軒先に菖蒲(しょうぶ)とよもぎを刺し、災難よけにしました。お風呂に菖蒲を入れて、菖蒲湯として入り、笹巻きを作り神様に供えました。

青空高くおよぐ鯉のぼり

5月に入ると晴れた青空に鯉のぼりを立て、強くたくましく、健康に育つように祈りを込めて祝います。
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よでな

田植えが終わると、よでな餅の準備をします。よでな餅は、苗の生育と豊作を祈願してついたものです。きな粉餅やあんこ餅などを重箱に入れて、手伝ってくれた家や親戚などに感謝の気持ちをこめて、届けて廻りました。

初もぎきゅうり

「カッパの神様にあげまぁーす」と言って、初もぎきゅうりは、どこの家でも川に流しました。カッパ神様の好物であるきゅうりを供え、子どもを水の事故から守ってくださいとの願いを込めてお祈りをします。

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七夕様

各家で竹に願い事を書いた短冊を下げて、供物を供えて縁側などに飾りました。次の日の朝早く、竹飾りを川に流しました。

土用・土用の丑(うし)てん

四季を通じて、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を言いますが、特に夏の土用は、暑さで弱った体力を回復するために餅をついて食べました。丑の日には長いものを食べると、夏負けしないと言われ、冷やしたところてんに酢じょうゆをかけて、どういう訳か一本箸で食べました。

お盆 8月13日

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祖先の霊を迎えて供養するこの行事を8月13日に行っています。

  • 墓そうじ(8月7日) 早朝、墓をきれいに掃除し、石塔の前に葦で、盆棚を作り飾ります。

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  • 先祖迎え きゅうりを馬にたとえ、墓に供えます。ご先祖様の霊が馬に乗って早く来てほしいとの思いが込められています。藁で馬と人形を作って迎える地区もあります。

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  • 墓参り(8月13日、14日に行う地区もあります) 夕方薄暗くなると、先祖が帰って来る時の目印になるように提灯をつけ、供物を持って先祖の霊を迎えに行きます。

供え物

    • 供え物 盆棚の上に、葦で編んだすだれを敷いて、蓮(はす)の葉を裏返しにし、その上に夕がお・青豆・そばの苗・芋の子(わきこ)・なす・きゅうり・トマトなど季節の野菜や果物を7種類供えます。

     

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  • 花(秋の七草) 萩・おみなえし・ききょう・すすき・ぎぼうし・ふじばかま(みそ花)・くずなど季節の花々7種類を墓に飾ります。
  • 仏壇飾り 仏壇の前にみげでなった紐をはり、前の方にかけ素麺・昆布・ふのりをかけ、それに小さな青リンゴを2個ずつ、5~6組位かけて飾ります。ご先祖様が喜ぶように「こぶ」を、子孫が長く続きますようにと「素麺」を供えます。

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  • 送り盆(8月16日) かけ素麺を煮て、仏壇に供えてから供え物一切を川に流し、精霊を送ります。迎えにはきゅうり(馬)を使ったのに対し、おくり盆ではご先祖様の霊がべご(うし)に乗ってゆっくりあの世に戻ってほしいとの願いを込めて、なすをべごにたとえています。
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    お盆の情景
    馬の藁細工

お盆の料理

    • 仏壇のお膳 お膳の上に蓮の葉を裏返しにして敷き、おふかし・汁・お平(煮物)・えごなどを供えます。

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    • 墓参りの日の食事
      墓参りが終わると、それぞれの家庭で精進料理を食べます。

      • おふかし・汁(汁やすまし汁)・平(煮物)・皿(えごなど)
      • 炒り物(夕がお炒りとび茸炒りなど)
      • 和え物(酢の物)
      • おひたし
    • 15日 餅をついて、仏壇に供えます。

各地域の鎮守様の例祭

夏には各地域の鎮守様の例祭が行われ、それぞれの地域で鎮守されている神様の例祭には、村中の人が集まり、ごちそうを食べ酒を飲み交わし御祝儀しました。

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豆名月(中秋の名月)

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一年中で一番澄みきったお月様で、枝豆を茹でて名月様にお供えします。 半戸(はどめ=縁側)に豆をお供えし、お月様を拝みました。

子ども達は、狭間縁(さまぶち=縁側の高窓)にあげた豆にそおっと近寄り、枝の長い物を使ったり、つんつこのり(肩ぐるま)で、お供えしてある豆をさらって歩いて楽しみました。

秋の彼岸(9月20日前後)

秋分の日を中日とし、その前後各三日間、計七日間が秋の彼岸です。秋分の日を挟んでの一週間、ご先祖様をまつり、供養します。仏前には彼岸花を飾り、お膳には精進料理と、故人の好物を供えます。  秋分の日をまた、秋彼岸はこの日を境に、日ごとに涼しくなります。

栗名月(芋名月)

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新栗を茹でて、名月様にお供えし、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈りました。豆名月と同じように子ども達がお供えの新栗をさらって歩きました。神様にお供えした栗は、女の人達は食べてはいけないと言われています。また、さつま芋を蒸して一緒にお供えしたので、芋名月とも言いました。

刈り上げの餅

各家で稲刈りが終わると、餅をついて一年の労をねぎらいました。(刈っ切り餅)この日は、“橋の下のほいど(乞食)もつく” と言われ村中こぞって餅をつき五穀豊穣を祝いました。

山の神様

お田の神様が山の神様になって山に帰る日で、朝早く帰るのでどこの家でも競って朝早く餅つきをしました。ますに藁を敷き、餅を丸めて入れたものを御神酒と一緒にお供えしました。山の神様は立木を伝って帰るので、山川不参と言って山や川の仕事には、出かけませんでした。
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土洗い

お嫁さん達の土洗い・ばんちゃんたちの土洗いと、立場を同じくする同士が、宿(当番)の家に集まり2日がかりで飲んだり、食べたりして楽しみました。土にまみれる仕事を終え、一年の労をねぎらい、この日を境に冬の準備にかかりました。

鮭汁

鮭は生まれた川に溯上し、産卵する習性があり、秋が深まる頃に鮭川を溯上して来た鮭を捕り、一尾の鮭を料理して「鮭汁すっからよばって来い」と親類や近所の人を招きごちそうしました。鮭は田楽にしたり、赤かぶを入れた鮭汁にしました。また、塩をたっぷりすり込んで新切りにして保存し大切に食べました。

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さんげさんげ

さんげさんげとは、三山信仰にかかわる行事で湯殿山の年越しの日である12月8日を最終として、3日ないし7日間ほど村の男達が、行屋に籠もる行事です。この行事は最上郡一円と尾花沢市・大石田町の一部・村山市の葉山山麓の村々にのみ見られる特殊な神事で、本村では愛宕神社(上京塚)と月蔵院(観音寺)に現在まで伝わっています。

行屋に籠もる人々は「お行様」と呼ばれ、6日の朝、米(白米2升)・味噌・煮物または漬け物などの重箱料理を持参のうえ、家族に送られて行屋に入りました。6日は神前に供えるおぶく餅をつくことから始まります。(この餅は後にお札と一緒に村中に配られました)7日は、村中の者がお参りに集まり、行者と一体となって「さんげ、さんげ六根罪障」と、唱え読みが最も盛り上がった頃、行者とたくさんの信者がどっと押し合う“押せ押せ” が始まります。

この押し合いが強ければ強いほど願いがかなうとされ、その熱気はすさまじい勢いでした。

さんげさんげの期間中は各家庭でも豆腐の田楽などを食べたり、子ども達も火鉢や囲炉裏を囲んであんにゃき(米の粉で餅をつき、中にあんを入れて焼いたお菓子)を焼いて食べました。

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大黒様のお年越し (大黒様の嫁とり)

七福神のひとつで、福徳の神とされています。大黒様の姿は、頭巾をかぶり左肩に大きな袋を背負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏まえています。

我が国の大国王神と習合して民間信仰に浸透、「恵比須様」と共に台所などにまつられています。12月9日は、大黒様の嫁取りの日で、妻迎えをされる夜と言われています。大黒様は聾の神様だったと言う言い伝えがあり、大きな声で「大黒、大黒、福大黒、きっかず大黒、耳あけて豆あがれ」と唱えお金持ちになるように家中で祈りました。

お膳

「手まめ、足まめ、九品」と言って、豆づくしの料理が準備されました。

  • 尾頭付きの魚
  • ハタハタの田楽
  • 黒豆の入ったなます
  • 黒豆の入ったご飯
  • 黒豆と大根
  • のみそ汁
  • まっか大根(妻にたとえたもの)

冬至

冬至の日が過ぎると藁一節ずつ日が長くなると言われました。冬至かぼちゃを食べると中風にならないと言われました。冬至に降った雨は、鮎になると言って、豊漁を期待し、喜びました。

年越し準備

昔は、一週間かけて正月を迎える準備をしました。

  • 25日 正月納豆煮 庭にかまどを作り、大釜で大豆を煮て、藁つっとこの中に煮豆を入れて、藁床に寝せて作ります。大正月、小正月、二十日正月と、お正月中に食べられる位たくさん作りました。
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  • 26日 すす掃き 一年中の家中のすすを払い、大掃除をします。神棚や囲炉裏を念入りに掃除し、すす掃きで使った梵天(ぼんてん)を門口に立てておきます。この日に、山に「門松迎え」に行き松を切ってきます。
  • 27日 豆腐作り
  • 28日 餅つき 早朝から始めて、一俵ほどの餅をつきました。正月用のお供え餅や、お年始の鏡餅など祭礼のものを全て作りました。
  • 31日 大晦日

門 松

午前中に門松を立てます。門松は、すす掃きの梵天に、門松迎えをして来た松の枝を縄で結い付けたもので、二つ造ります。

床の間

神々の掛け軸をかけ、鏡餅と、お神玉をお膳に並べました。小鏡餅は、神棚、大黒様、便所、蔵、小屋にも飾りました。

お神玉

ご飯を小さなおにぎりの形に握り萩の箸を一本刺しにしたものを12個(閏年は13個)飾ったものです。萩を刺した穴の大きさで翌年の作を占ったとも言われています。
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年越し(年取り)

年越しは、風呂を沸かし主人、長男の順に入り、衣類を改め、子ども達は新しい正月着物を着ました。

床の間に燈明をつけて、一年の感謝と来年の祈りを込めて拝みました。家族がそろったところで、ごちそうを食べ、この日は昼食抜きの早夕食でした。

年越しのお膳

    • ご飯(新米)
    • みそ汁(納豆汁のところもある)
    • 平(鱈の煮魚)
    • 皿(鯉)
    • 中皿(ごぼう炒り、たくあんなど)
    • 小鉢(三杯酢豆)
    • 年越しそば

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夜も更けた頃、年越しそばをいただきました。そばのように、長く幸福にと言う願いと、金箔師が散らばった金銀の粉を集めるのに、蕎麦粉をねった塊を用いることから、これにちなんで金銀をかき集めるという意味も込められ、食べたものと言われています。

餅の大きさ

28日の餅つきの日は、それぞれの用途により、いろんな形・大きさの餅が作られました。

  • 鏡餅直径一尺(30㎝)位のものを台餅とし、八寸(24㎝)・五寸(15㎝)と三重ねとします。
  • 小鏡餅 丸く小さく2個ずつ八重ね分とります。
  • 粉餅  径五寸(15㎝)位のものを数十個とります。これは他家へ正月礼に持って行くものと、家で焼き餅をして食べる分で、俵に貯えておきました。
  • 小餅 元旦参りに行くとき持って行くもので、饅頭大のもの数十個とりました。
  • 朝食餅 皿に二切れずつ盛り付け、床の間、仏壇、神棚などに供えました。

正 月

一年の初めの月で、この月に行われる行事は、種類の上からも他に比類なく多く、また、心構えの上からも年間を通じて最も大切にされています。正月は盆と並んで年に2回の魂祭の機会であり、盆は仏教的行事としての色彩が濃く、これと対象的に正月は神祭の意識を強めた行事です。

1日~7日までを松の内と呼び、正月気分を味わいました。

三が日(1~3日までを言う)

●1月1日

元旦の朝は、家の主人が夜明け前に起きて若水を汲み、風呂に入り心身を清めて、氏神様に元朝参りしたものです。三が日間は「福汲む、よね(米)汲む、万の宝を汲み上げる」(地区によっては、「新玉の年の始めの玉びしゃく、万の宝汲み取るぞ集むる」)と唱えながら新年一番に若水を汲み上げました。これには若返りの願いが込められていました。

この日ばかりは、女達は台所仕事を休み、部屋を掃くのも男の人の仕事で「新玉の年の始めの玉ぼうき  万の宝  掃き込むぞ集むる」と言って掃きました。洗濯物・買い物など一切しなかったのは、元旦から人の出入りが激しいと一年中忙しく、黄金・福が出ていくと言われたからです。

床の間には、めでたい掛け軸をかけ、床の間の正面には鏡餅を上げます。神棚にも供え餅を上げて家中のみんなが拝みました。

元旦のお膳

縁起をかついだ料理やふだんは食べられないごちそうを食べました。

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○正月唄

正月はええもんだ ええもんだ油のような酒のんで べにのようなトト(魚)食って雪のようなママ食って正月はええもんだ

  • ご飯(新米を使う)
  • 汁 みそ汁または、納豆汁
  • 雑煮(餅、椎茸、ごぼう、せり、油揚げなどを入れてしょうゆ仕立てでいただく)
  • 正月魚(福鱈)  筒切りにした鱈を薄じょうゆで煮、一年中福を招くように食べた。あげとど(塩鮭)、鯉の甘露煮
  • 膾(なます)氷頭なますまたは、三杯酢豆
  • 黒豆(まめで、達者で暮らせるようにとの願いを込めた
  • 昆布巻きにしん(喜ぶといって昆布を使った
  • 百合根の煮物(子孫繁栄を願った)

●1月2日

2日の朝は“二日とろろ” をすりました。中風除けのため、また一年中風邪を引かないようにとの願いでご飯にかけたり、八杯とろろにして食べたりしました。また、すったとろろを大戸(玄関口)や、囲炉裏のかぎ鼻などに塗りました。これには、悪いものが家の中に入ろうとしてもつるつるすべって入れないようにとの、魔除けの意味が込められていました。この日は、全ての事始めを行う日とされ、初買いや書初めをしたり、正月礼と言って親戚廻りをしました。

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●1月7日

七日正月とも言われ、年越しの時に神様にお供えしたお神玉を、七草がゆにして食べました。七草唄を唄いながら、まな板の上で7種の材料をたたきました。

○七草がゆ

冬に7草の食材をそろえにくいため、栗・大根・からどりの茎・豆・昆布・干し柿・餅などを使いました。

○七草唄

たらたたき、たらたたき、千たらたたき、万たらたたき唐土の鳥と、田舎の鳥と、渡らぬ先のたらたたき。

小正月

小正月は、旧暦の正月の名残りで、満月を年の始めとする正月です。小正月には、豊作に関することや、訪問者による物吉の行事が多く、また、小正月の夜は産女(出産のため死んだ女がなるという想像上の鳥、または幽霊)や、山の神が出て遊ぶ夜だとも言われています。

●小正月の年越し(1月14日)

小正月の年越しは、水木になし団子をならし、まえ玉(繭玉)を飾った。

●小正月(15~20日)

小正月は、花正月とも言われ、多彩な飾りをしました。

まえ玉(繭玉)ならし

藁12本(うるう年の時は13本)に餅を下げました。これは繭の豊作を予祝したものです。

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金袋

お餅を二つ折り巾着(金を入れる袋)に見立て、その膨れ具合を見て豊作かどうかを占いました。下の方が膨らんでいると、金持ちになると言って喜び、また金袋にひびが入ると、お金が入りすぎてひびが入ったと言いました。

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なし団子

8日に山から迎えてきた水木の枝先に、くだけ餅で作った団子を下げました。  これは、農作物の豊穣を祈るもので、農家にとっては、小正月が本正月で新年はここから始まりました。

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動画(外部)

中組の小正月

お柴燈

村の若い衆が山から大きな木を切り運び、山の神様の前にたて、村中の家々から稲藁を集めて、子ども達と一緒にお柴燈を作りました。正月の松飾り、書き初めや古いお札などを焚いて一年の無病息災を祈願しました。書き初めの天筆を上げ、焼けないで空高く飛ぶと字が上手になると喜びました。

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雪中田植え

五穀豊穣を願い、雪中田植えをしました。雪の上を鍬で耕し、豆がらと藁を苗に見立てて、12株植えました。

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●1月16日

鳥追い

作物が鳥に荒らされないようにと声を張りあげて鳥を追い払う、豊作の願いを込めた行事です。 朝早く、子ども達が集まり「ほー、ほー」と大きな声で鳥を追い払うまねをします。子ども達の楽しみにしていた行事のひとつです。

病送り

藁で人形を作り、家の下方に人形を立てます。人形の手には、剣の変わりに赤唐辛子を持たせ、背中にぼた餅(しょうゆご飯などの時もある)を背負わせ(または頭に上げる)、家の中の病気を持って行ってもらえるように願ったものです。

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動画(外部)
病送り

二月正月

菱餅

前日についた餅を、この日の朝に菱形に切って、菱餅として神様に供えました。  菱餅は、卯の日に食べると家福が授かると言われ、また、厄年の人は無事災難から免がれると言われています。

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凍み大根

寒に入ると、大根の皮をむき、頭のところに藁を通し熱湯にくぐして、軒先に下げました。 凍ると、まるでろうを塗ったようにつるつるになり、それを幾日もかけてからからになるまで干すと、春先には淡い飴色の凍み大根ができます。
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凍み餅(干し餅)

寒に入ったら餅をついて、四角に切り、これを藁で編んで竿にかけて外で凍らせて作る、凍み餅作りをしました。 どの家の軒先にもつるされ、田植えの一服や、子ども達のおやつなどにして食べました。29

寒雑魚(かんざっこ)

冬の雑魚は、寒さに耐え春が来るのを待っています。 氷を割り網ですくう「すが上げ」と言われる漁法の他に、「釜揚げ」と言われる漁法で捕まえました。
寒雑魚は主に“はや” をさし、一年中食べられるこの魚の一番おいしい時期が寒中です。 春の産卵に向け、卵が入るのも2月頃で、川の近くの集落では、さかんに寒雑魚捕りをしました。
捕まえた雑魚は持ち帰り、囲炉裏で焼いて田楽・甘露煮などで食べました。また、軽く焼いて弁慶刺しにして保存し、春が来るまでの大事なたんぱく源にしました。

節分

邪鬼を追う豆撒まきの行事で、魔除けとして頭のついた鰯(煮干し)を煎ったものを萩の枝や豆がらに刺して、戸口やそれぞれの窓に立てました。 その家の主人か長男が囲炉裏で豆を炒り、一升枡に入れて、かみしもを着て大きな声で、「福は内、鬼は外、天に花さき、地に実り、鬼の目ん玉ぶっつぶせ(ぶっつぶれろ)」と言いながら、威勢よく四方に豆を撒きました。

神棚にも供えられ、その豆は「鬼の豆」として、大切に保管され、初めて山仕事に出かける時や旅行に行く時に3個食べると、災難を免まぬがれると言われました。また、この日は豆を自分の年の数だけ食べて幸福を願いました。

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御田の神様・山川不参(おだのかみさま・やまかわふさん)

御田の神様の餅をつき五穀豊穣を願った行事です。
山に鎮座する山の神が、今日から御田の神様になりました。山の神が農耕を守るため、田畑に降りて秋に山に登るというならわしです。
山の神は、立木を伝っておりて来るので、山や川に入ってはならない山川不参の日とされています。